2007年12月25日火曜日

日本人の憐憫の情の深さ

フランダースの犬は欧米では「負け犬の物語」であり,そもそも知名度も高くない…という記事(読売新聞).

悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。

 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。
とのことですが,この結論はある程度正しいでしょうが,僕は少し違和感を覚えます.日本人が「フランダースの犬」を受け入れたのは滅びの美学というより,単純に「かわいそうだな」という憐憫の情によるものではないでしょうか.日本人の憐憫の情の深さはおそらく伝統的なもので,徒然草にも「生き物を珍しいからと言って檻に閉じこめて飼ったり,ましてや虐待などしてはイカンと思う」といった記述がありますし,サンフランシスコ地震(明治39年に発生したもの)のときには日本からの義捐金が最も多かったということもありました.

ただしサンフランシスコ地震への義捐金が多かったがために,直後のアメリカによる日系移民排斥に対して日本の世論が激昂することにもなりました.日米間の対立の始まりであり,歴史の中の不幸な出来事とも言えます.しかしアメリカ合衆国は17年後の関東大震災のときに迅速な救援措置や募金,チャリティーで十分なぐらいの「恩返し」をしてくれています.

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