2007年10月18日木曜日

日本人評

僕は日本人ですから,日本人の国民性を表すエピソードや国民性ジョーク,日本人評には興味があります.褒めちぎる物も,批判的な物も,皮肉的な物も好きです.

好きな話はたくさんあるのですが,いくつか挙げると,まずイギリス人が言ったという

日本人はナイル以東では一番約束を守る国民である
というもの.確かに,アジア諸国での商売の話を聞いていると日本ほど約束は守ってくれない国が多いようです.この話は「でも,世界ではイギリス人が契約を一番守るのさ」とでも言いたそうな所がまた良い.

もう一つ挙げると,これは誰が初めに言ったのか全く分からないのですが
アメリカ人が立案した戦略の下でドイツ人の下士官が日本人の兵士を率いると世界最強の軍隊である
というもの.戦略のアメリカ人,戦術のドイツ人,戦闘の日本人といったところでしょうか.大日本帝国の日本人がその崩壊まで驚異的な戦闘能力を見せたことから来ているのでしょうが,同時に日本人が戦略的思考を苦手にしているという評価でもあります.戦術的失敗は戦略で取り返せるが戦略的失敗は戦術では取り返せないと言いますから,戦略は大事ですね.

「ぼやきくっくり」さんのところに『外国人から見た日本と日本人』というエントリがありましたが,興味深かったのが
東郷提督は静かな口数の少ない人で、どちらかといえば物憂げな表情をしていたが、きげんの良い時には極めて優しい微笑を浮かべることがあった。彼の表情は優しく穏やかで、話しかけられていない時は、時折、瞑想に耽っているらしく、ほとんどいつもじっと地面を見つめて、頭を少し右へかしげていた。

 これと反対に黒木大将は、日焼けしたがっしりした体格で、まるでオリンピック競技の選手のように鍛錬された、典型的な軍人タイプであった。彼はいつも陽気で、愛想がよくどっしりとしていて、物事の良い面を見ようとする人物であった。

 この二人ほど一目見た時、対照的な人物はないだろう。しかし、二人には共通した特色があった。
 彼らの謙遜と自制心は、まさに人々の心をとらえるものがあった。彼らが話すのを聞いて、本当に彼らが日本の歴史の上ばかりでなく、世界の歴史に残るような立派な役割を果たした人物だとは信じられないだろう。

 両者ともに、誇らしげな様子は全く見られなかった。ここに私がとくに強調しておきたいのは、私の日本滞在中にいろいろな種類の多くの日本人と話をしたが、さきの日露戦争の輝かしい勝利を自慢するかのような発言を、一度も耳にしなかったことである。

 戦争に導かれた状況と戦争そのものおよびその結果について、全く自慢をせずに落ち着いて冷静に話をするのが、新しい日本の人々の目立った特徴であり、それは全世界の人々の模範となるものであった。このような謙譲の精神をもって、かかる偉大な勝利が受け入れられたことはいまだにその例を見ない。
という段.
よく,「日本人は日露戦争があまりに上手くいってしまったために調子に乗り,後に破滅した」という評価を聞きます.僕も以前は「そうかもしれない」と考えていたのですが,最近は大正デモクラシーの一時期日本人が非常に反戦的になった(軍人さんが軍服を着て歩くのがためらわれるほどでした.しかし過剰な軍人叩きはほんの一時期で収まったそうです)ことなどからしても,それはちょっと違うのではないかと思っていたので,この一段は納得がいく話でした.東郷平八郎の軍功は書くまでもないことですが,黒木為楨の軍功も凄まじい物で当時は世界中に名前が知れていたようです:
(引用者注:鴨緑江の戦い後)
有色人種が,近代兵器を用いて白色人種を圧倒した最初の戦闘だったのである.『ロンドン・タイムス』は,「日本軍の指揮と勇気と,完全な組織に至っては賞賛の言辞もない.日本の参謀が最高の軍事能力を有することが証明された.軍隊もまた精良で,機械のごとく動いた」と評している.
 ウッドハウス映子の『日露戦争を演出した男モリソン』はそのときの外国の反応を次のように面白く描写している.
「黒木は一躍英雄となった.メキシコでは彼にあやかろうと,同国一の鉱山を『黒木将軍鉱』と改名した.カナダでも黒木熱が上がり,ノーザラン鉄道会社では親切のサスカチュワン州の駅の一つを黒木駅と名付け……オタワの通信省は新設の郵便局を黒木郵便局と名付けた.……しかし,英雄クロキを日本人としておくのはもったいないと思ったのか,アメリカの一部ではクロキは,じつはクロスキーというポーランド人の子孫であるとの噂が流れた.
ロシアでは,じつは,クロキはロシア系の人間でソフはシベリアのカイリータという村の付近で生れたので,クロキは半日本人にすぎず,鴨緑江の激戦で大勝利を博したのも,クロキがロシア系の人間だったからであると宣伝した.(中略)」
黄色人種にはまだそれだけの能力はないと思われていた時代のことである.
以上の引用は「小村寿太郎とその時代」(岡崎久彦,PHP文庫)より.

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